【怖い話】白いカーテンの向こう

人は誰しも、自分の人生にカーテンを引きたくなる時がある。

私の場合、それは妻を亡くしてからだった。突然の事故。救急病棟のベッドを仕切る白いカーテンの向こうで、彼女は息を引き取った。その日から、私は自分の部屋の全てのカーテンを白に変えた。

哲学研究者として、私は「境界」という概念について長年研究してきた。生と死の境界、現実と非現実の境界、存在と非存在の境界。そして今、私の目の前には白いカーテンという物理的な境界がある。

最初の異変に気付いたのは、妻の一周忌の夜だった。

いつものように眠りにつこうとした時、カーテンの向こうから微かな物音が聞こえた。風でもないのに、カーテンが微かに揺れている。そして、その布地に人の形のような影が浮かび上がった。

私は目を閉じた。幻覚だと思った。しかし、その晩から、奇妙な出来事が続くようになる。

カーテンの向こうで誰かが動いているような気配。時々聞こえる、妻の声に似た囁き。そして、カーテンに映る影は日に日にはっきりとしていった。

同僚の心理学者は、それを「複雑性悲嘆」の症状だと説明した。しかし、私には確信があった。カーテンの向こう側に、何かが存在するのだと。

ある夜、私は思い切ってカーテンを開けてみた。そこには何もなかった。ただ、窓の外の景色が、どこか違って見えた。まるで現実が薄皮一枚剥がれたような、そんな感覚。

次の日から、私はカーテンについて研究を始めた。古今東西の文化における「布」の象徴性。死後の世界を表す「帳」の概念。現代建築における「仕切り」の哲学。

そして、ある仮説にたどり着いた。

カーテンとは単なる布ではない。それは現実という舞台の一部であり、その向こう側には別の「現実」が広がっているのではないか。私たちは知らず知らずのうちに、無数のカーテンに囲まれて生きている。そして時々、そのカーテンが薄くなる瞬間があるのではないか。

研究が進むにつれ、カーテンの向こうの気配はより鮮明になっていった。もう影は人の形をしていた。その姿は、明らかに妻のものだった。

彼女は私に何かを伝えようとしているように見えた。カーテンに近づくと、布地が波打つように揺れる。まるで、向こう側から誰かが手を伸ばしているかのように。

ある晩、私は決心した。カーテンの向こう側へ行くことを。

白いカーテンに手を伸ばすと、布地が水面のように波打った。指先が沈み込んでいく。冷たい感触。そして、向こう側から誰かが私の手を掴んだ。

今、私はこの記録を書いている。もうすぐ、私はカーテンの向こう側に行く。そこで妻に会えるのかもしれない。あるいは、全く別の何かが待っているのかもしれない。

これを読んでいるあなたも、周りを見渡してみてほしい。部屋のカーテン、病院の仕切り、舞台の緞帳(どんちょう)…それらは本当に「こちら側」と「向こう側」を分けているだけだろうか?

あるいは今この瞬間も、カーテンの向こうであなたのことを見つめている誰かがいるのかもしれない。

白いカーテンの揺れが強くなってきた。妻の声が聞こえる。もう、時間のようだ。

さようなら。そして、カーテンの向こうで会いましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です