【怖い話】同じ教室

その異変に気づいたのは、一学期の終わり頃だった。

何かがおかしい。教室に入るたびに、私はそう感じていた。でも、具体的に何がおかしいのかを説明することができなかった。それはまるで、慣れ親しんだ自分の部屋の家具の配置が、誰かによってほんの少しだけ動かされているような、そんな違和感だった。

最初に気づいたのは、隣の席の中島のことだった。いつもより背が高くなったような。でも、成長期だから当然かもしれない。

次は、窓側の佐藤。少し痩せたような気がした。でも、部活が忙しいからかもしれない。

そうやって些細な変化を無視し続けていたある日、衝撃的な事実に気づいた。

教室の後ろに貼ってある先月の学級写真を見ていた時のことだ。写真の中の中島と、目の前にいる中島が、明らかに別人に見えた。輪郭が違う。目の形も違う。でも、不思議なことにクラスの誰もそのことに気づいていないようだった。

「ねえ、中島って最近変わったと思わない?」

親友の高橋に聞いてみた。

「え?普通だと思うけど」

その返事に、私は背筋が凍る思いがした。なぜなら、その声は明らかに高橋の声ではなかったからだ。

それからというもの、私は周りの変化を注意深く観察するようになった。すると、恐ろしいことに気がついた。クラスメイトが、一人また一人と、少しずつ違う人に置き換わっているのだ。

でも、置き換わった後の彼らは、まるで何も変わっていないかのように振る舞う。同じ話し方、同じ仕草、同じ習慣。けれど、確実に別の「誰か」になっている。

ある放課後、図書室で哲学の本を読んでいた時、テセウスの船のパラドックスという考え方を知った。船の部品を一つずつ新しいものに置き換えていったとき、最後にできた船は元の船と同一と言えるのか、という問題だ。

その時、私は震えた。今の状況は、まさにそれではないのか。クラスメイトという「部品」が、一つずつ置き換えられている。でも、「クラス」という存在は変わらず、そこにある。

じゃあ、この教室は本当に私たちの教室なのだろうか。

ある日の朝、鏡を見て私は絶句した。自分の顔が、少しだけ違って見えたのだ。

目の下のほくろが消えていた。

これは夢なのか現実なのか。私は本当に私なのか。周りのクラスメイトは本物なのか偽物なのか。そもそも「本物」とは何なのか。

哲学者のボードリヤールは、現代社会ではシミュラークル(実物の代用品)とオリジナルの区別がつかなくなると言った。私たちの教室で起きていることは、まさにその具現化なのかもしれない。

今、私の目の前には見慣れた教室の風景が広がっている。いつもと変わらない日常。でも、それは本当に「いつも」の風景なのだろうか。

窓から差し込む光は、教室の床に不気味な影を落としている。その影は、かつての「本物の」クラスメイトたちの姿なのかもしれない。あるいは、これから現れる「新しい」クラスメイトたちの予兆なのかもしれない。

明日、私は誰と顔を合わせることになるのだろう。そして、私は本当に「私」のままでいられるのだろうか。

教室に響く終業の鐘の音が、どこか虚ろに聞こえた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です