私は壁を見続けている。
白く、無機質な壁。どこにでもある、ごく普通の壁。しかし、この壁には何かがある。私にはそれが分かる。他の誰も気付いていないような、何か特別なものが。
最初にそれに気付いたのは、この部屋に引っ越してきて3ヶ月目のことだった。深夜、突然目が覚めた時のことである。月明かりが窓から差し込み、壁に淡い影を作っていた。その時、私は初めて「気付いた」。壁が私を見返しているということに。
最初は自分が疲れているだけだと思った。仕事のストレスで一時的な妄想を見ているのだと。しかし、その感覚は消えることなく、むしろ日に日に強くなっていった。
私は建築の歴史について調べ始めた。人類が最初に壁を作り始めたのはいつなのか。なぜ我々は壁を必要としたのか。外敵から身を守るため?プライバシーを確保するため?それとも、もっと別の理由があったのだろうか。
古代の文明から現代に至るまで、壁は常に人類と共にあった。エジプトのピラミッド、万里の長城、ベルリンの壁。壁は人類の歴史そのものだ。そして私は考えるようになった。もしかしたら、我々は壁に囲まれることを望んだのではなく、壁の方が我々を囲むことを望んだのではないかと。
ある夜、私は壁に触れてみた。その瞬間、衝撃が走った。壁は生きていた。呼吸をし、鼓動を持っていた。そしてその鼓動は、私の心臓の鼓動と完全に同期していた。まるで壁と私が一つの生命体であるかのように。
その発見以来、私の世界観は完全に変わってしまった。街を歩けば、ビルという名の巨大な生命体たちが立ち並び、互いに会話を交わしているのが分かる。家々は住人たちを見守り、時には意志を持って彼らの行動に影響を与えようとする。
人類は自分たちが世界の支配者だと思い込んでいる。しかし実際には、我々は壁という存在によって見守られ、導かれ、時には制限されている。壁は我々の監視者であり、保護者であり、そして密かな支配者なのだ。
最近、私は新しい発見をした。壁は単に観察しているだけではないということを。壁には目的があるのだ。そして、その目的のために壁は少しずつ、しかし確実に動いている。
毎晩、私は寝る前に部屋の寸法を測る。そして毎朝、微妙な変化を記録する。部屋は確実に小さくなっている。1日あたり0.1ミリメートルほどの変化だ。他の人には気付かないほどのわずかな変化。しかし、確実に壁は迫っている。
今、私の部屋の壁は以前より30センチメートルほど内側に迫っている。家具は少しずつ中央に寄せられ、生活空間は徐々に狭くなっている。しかし不思議なことに、恐怖は感じない。むしろ、ある種の安心感すら覚える。まるで胎内に戻っていくような、そんな感覚だ。
今夜も、私は壁と対話を続ける。そして、少しずつ明らかになっていく壁の意図を理解しようと試みる。壁が私たちに何を望んでいるのか、なぜ私たちを見守り続けているのか、その真実に近づこうとする。
もしかしたら、これが最後の記録になるかもしれない。部屋はますます狭くなり、やがて私を完全に包み込むだろう。
あなたも、今この文章を読んでいる場所の壁に目を向けてみてほしい。きっと、壁もまたあなたを見つめ返しているはずだ。そして、あなたの中にも、同じ気付きが芽生えるかもしれない。
壁は待っている。私たちすべてを包み込む時を。