【怖い話】赤い雫の約束

白い病室のベッドで眠る彼女の手を握りながら、私は窓の外に広がる夕焼けを見つめていた。医師の言葉が頭の中で何度も繰り返される。

「残された時間は長くて三ヶ月です」

三ヶ月。九十日。私と美月が出会ってから過ごした日々の十分の一にも満たない時間。

彼女が眠っている間、私は病院の屋上で泣いた。そして偶然、同じく病室から逃れてきたらしい老人と出会った。

「若い命が消えるのは辛いものじゃ」と老人は言った。「だが、もし彼女を救う方法があるとしたら?」

私は即座に反応した。「何でもします」

老人は微笑み、一枚の古びた羊皮紙を私に渡した。そこには「永遠のワイン」と呼ばれる伝説の酒についての記述があった。死の淵にある者に捧げれば命を延ばすことができるという。

「ただし、代償が必要じゃ」と老人は言った。「命には命を」

常識的に考えれば荒唐無稽な話だ。しかし、絶望的な状況の中で、私はその話に藁にもすがる思いで飛びついた。

羊皮紙に記された場所は、古い修道院の跡地だった。地下の貯蔵庫を探し回り、ようやく見つけたのは、蜘蛛の巣に覆われた棚の一番奥。「ヴィタ・エテルナ」と書かれた深紅のワインボトル。

病室に戻った私は、看護師の目を盗んで美月にそのワインを飲ませた。一滴、また一滴と、彼女の唇を濡らしていく。

奇跡は起きた。翌日、美月の容体は急速に回復し始めた。医師たちは驚き、「自然寛解」という言葉で片付けようとしたが、私には分かっていた。これが「永遠のワイン」の力だということを。

しかし、その夜から私の夢に見知らぬ人々が現れるようになった。彼らは皆、苦しみに満ちた表情で私を見つめ、「なぜ私を選んだのか」と問いかけてくる。

一週間後、朝のニュースで近隣の町で若い男性が原因不明の急死を遂げたと報じられた。次の日には別の町で女性が。そして次々と…

私は恐ろしい真実に気づいた。「命には命を」という言葉の意味を。「永遠のワイン」は美月の命を延ばすために、他の人々の命を要求していたのだ。

苦悩の日々が続いた。美月は日に日に元気になっていく。その笑顔を見るたびに幸せを感じる一方で、見知らぬ人々の死のニュースに胸が潰れそうになった。

「どうしたの?最近元気ないわね」と美月が心配そうに尋ねた日、私は決断した。すべてを彼女に話すことに。

「信じられないわ…」彼女は震える声で言った。「私のせいで、見知らぬ人が死んでいるなんて…」

その夜、美月は泣きながら言った。「もうやめましょう。私はあと数日でも幸せに生きられれば十分よ」

しかし、時すでに遅し。「永遠のワイン」の呪いは一度始まれば止められない。唯一の方法は、誰かが自ら進んで命を捧げること。そう老人が最後に残した手紙には書かれていた。

翌日、私は決意した。彼女の代わりに自分の命を捧げることを。最後の晩餐として、私たち二人でボトルに残った「永遠のワイン」を分け合った。

「私があなたの代わりになる」と私は告げた。「あなたには生きていてほしい」

彼女は涙を流しながら首を振った。「私もあなたと同じことを考えていたの」

その瞬間、恐ろしいことに気づいた。二人とも同じワインを飲んだのだ。二人とも自分の命を相手に捧げようとした。

部屋が赤い光に満たされる。ワインボトルが浮かび上がり、二人の間に立ちはだかる。

「愛する者のために命を捧げようとする二人の魂…」見知らぬ声が響いた。「これほど美しい贈り物はない」

気づいた時には、私たちはもうこの世界にいなかった。ワインボトルの中、深紅の世界に閉じ込められていた。ここでは時間が存在せず、私たちは永遠に若いまま。しかし、もはや実体はなく、ただの魂となって漂うだけ。

いつしか、そのボトルは別の絶望した恋人の手に渡った。彼もまた、愛する人を救うためにこのワインを求めていた。

「飲ませて…」私たちは囁いた。「しかし、代償を知っておくがいい」

彼は飲ませる。そして新たな犠牲者が生まれ、また新たなボトルが創られる。

これが「赤い雫の約束」—自分の命と引き換えに、愛する人の命を救う永遠の連鎖。私たちはボトルの中で愛し合いながら、次の犠牲者を見守り続ける。

時に私は考える。これは呪いなのか、それとも愛の証なのかと。永遠に続く赤い雫の中で、私たちの愛は終わることなく続いていく。それは残酷な永遠か、それとも祝福された永遠か。

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