【怖い話】重みの正体

私の通勤バッグが重くなり始めたのは、妻が亡くなって三ヶ月が経った頃からだった。

最初は気にも留めなかった。毎日同じものしか入れていないのに、夕方になるとやけに肩が凝る。そのうち、バッグを持ち上げる時の重みが明らかにおかしいと感じるようになった。中身は財布、スマートフォン、手帳、そして妻の形見の携帯用ハンドクリームだけ。全部合わせても1キロにもならないはずなのに、まるで石を詰め込んだかのように重い。

不思議に思って中を確認しても、見慣れたものしか入っていない。けれど、確実に日に日に重くなっていく。そしてある日、電車の中でふと気づいた。バッグが重くなり始めたのは、妻との思い出を振り返らなくなった頃からだったのだ。

仕事に追われる日々の中で、気づかないうちに妻のことを考えることが減っていた。写真を見返すことも、彼女の好きだった音楽を聴くことも、だんだんとしなくなっていた。そんな自分に対する無意識の懲罰なのだろうか。それとも、忘却という名の罪の重み?

ある夜、疲れ果てて帰宅した私は、とうとう怒りに任せてバッグの中身を全て床に投げ出した。すると、思いもよらないものが転がり出てきた。

私たちの結婚指輪。式の前日に試着した時の緊張感。新婚旅行で訪れた海の匂い。病室で最期に交わした言葉。手術の成功を祈った日々の重み。永遠の愛を誓った瞬間の高鳴り。些細な喧嘩の後の仲直り。休日の朝に二人で飲んだコーヒーの温もり。

目に見えない記憶が、重さを持って床に広がっていった。

愕然(がくぜん)として、私はようやく理解した。このバッグは、私が無意識に封印しようとした追憶の重みを、着実に集めていたのだ。思い出さないようにすればするほど、記憶は物質となって重みを増していく。

涙が溢れた。床に広がった目に見えない思い出を、一つ一つ大切に拾い集めた。もう逃げない。君との思い出から目を背けるのはやめよう。

次の日から、不思議とバッグは軽くなった。今では、時々バッグの中で妻の使っていたハンドクリームの香りが強くなることがある。それは彼女からのメッセージのような気がしている。

「思い出の重さに耐えられないからって、忘れようとしてはいけないよ」と。

私たちは、愛する人を失った時、その悲しみから逃れようとして記憶を閉じ込めてしまうことがある。でも、その封印された記憶は決して消えることなく、どこかで確実に重みとなって私たちの心に蓄積されていく。その重みと向き合う勇気を持てた時、初めて私たちは前に進むことができるのかもしれない。

今、私のバッグの中には、妻との大切な思い出が、優しい重みとなって存在している。それは時に私の肩を疲れさせるけれど、もう決して無視することのできない、大切な重みとなっているのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です