私の母は死ぬ前日まで日記を書き続けた。五十年以上、一日も欠かさず。
「人は記憶だけが頼りよ。でも記憶は曖昧。だから日記が必要なの」
葬儀の後、私は母の部屋を整理していた。本棚には年代順に並んだ日記帳が整然と並んでいた。黒革の装丁で、背に金色で年号が刻まれている。
最新の日記を手に取ると、母の死の前日で記述が途切れていた。最後のページには「明日、私は死ぬ」とだけ書かれていた。
不思議に思った私は、過去の日記も確認してみた。祖父の死、父の事故、私の大学合格。すべての重大な出来事が起きる前日に、母はそれを予見するように書いていた。
恐ろしさと好奇心が入り混じる中、私は最も古い日記帳を開いた。母が十六歳の時のものだ。
「今日、奇妙な老婆に出会った。彼女は私に日記帳をくれた。『毎日書きなさい。そうすれば明日が見える』と言って」
次のページには続きがあった。
「日記を書き終えた後、不思議な夢を見た。明日の出来事が映像のように流れた。目覚めると、私の知らない文字で日記に書き込みがあった」
それ以降の日記には、母の文字と、もう一種類の不気味な筆跡が交互に現れていた。他人の文字で書かれた部分は、必ず翌日に起こる出来事を予言していた。
私は恐る恐る母の机の引き出しを開けた。そこには未使用の黒い日記帳が一冊。表紙には「次の記録者へ」と書かれていた。
好奇心に負けた私は、その日記に今日の出来事を書き始めた。書き終えると急に眠気に襲われ、その場で意識を失った。
夢の中で、私は自分の姿を上から見ていた。明日の私が動いている。朝起きて、朝食を取り、会社に行く。そして帰り道、交差点で…
目が覚めると、日記に見知らぬ文字で続きが書かれていた。
「明日、あなたは交差点で車に轢かれる。しかし死なない。この記録が続くように」
恐怖に震えた私は、翌日外出を控えようと決めた。しかし、重要な会議があり、どうしても会社に行く必要があった。細心の注意を払い、例の交差点は迂回した。
無事に一日を終え、安堵して帰宅した私を待っていたのは、玄関先に立つ見知らぬ老婆だった。
「予言を逃れることはできない」
彼女の言葉を最後に、私の視界が歪んだ。気がつくと、私は見知らぬ交差点に立っていた。信号が変わり、人々が渡り始める。後ろから急速に近づいてくるエンジン音。
目を閉じた。
気がつくと病院のベッドにいた。医師の話では、交通事故に遭い、一時的に意識不明になったという。奇跡的に大きな怪我はなかった。
回復した私は、日記を再び手に取った。そこには私の知らない文字でこう書かれていた。
「記録は続く。あなたの子もまた」
その夜、私は不思議な夢を見た。まだ見ぬ我が子が日記を書いている姿を。
九ヶ月後、私は一人の女児を出産した。彼女が十六歳になる日、私は母から受け継いだ黒い日記帳を渡すだろう。そして言うのだ。
「毎日書きなさい。そうすれば明日が見える」
時に私は思う。私たちは本当に未来を見ているのか、それとも書くことで未来を作り出しているのか。日記の最後のページには、まだ誰も書いていない言葉がある。
「この世界の最後の日、最後の記録者は真実を知る」