私が彼女を見かけたのは、秋の夕暮れどきだった。
大学の図書館で哲学書を漁っていると、窓際の席に佇む女性が目に入った。スカートの裾が風もないのに揺れている。それが最初の違和感だった。
彼女は本を読んでいたが、その指先は半透明で、ページをめくる音も聞こえない。私は思わず、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」から目を上げた。
「あの、すみません」
声をかけた瞬間、彼女はこちらを振り向いた。切れ長の瞳に、どこか物憂げな表情が宿っている。
「私が見えるの?」彼女は嬉しそうに微笑んだ。「久しぶりね、生きている人と話すのは」
恐怖よりも好奇心が先に立った。私は彼女の隣に座り、話を聞くことにした。
彼女の名は皐月(さつき)。この図書館で働いていた女性だという。5年前に亡くなってからも、ここに留まっている理由を、彼女は切ない表情で語った。
「片思いの相手がいたの。告白できないまま、事故で死んでしまって」
皐月は生前、哲学科の助手として働いていた。恋い焦がれていたのは、同じ学科の若い教授。しかし、その想いを伝えることなく命を落としてしまった。
「死んでからわかったの。人を愛するということは、存在の根源的な在り方なのだと」
彼女の言葉に、私は深く考え込んだ。ハイデガーは「存在と時間」で、人間の本質的な在り方を「世界内存在」として描いた。その観点からすれば、死後もなお愛に執着する彼女の姿は、極めて人間的な存在の形なのかもしれない。
それから私は、毎日のように図書館に通った。皐月と哲学について語り合い、時には彼女の片思いの話に耳を傾けた。亡霊との交流は、私の存在論への理解を深めていった。
「生きているってどういうことかしら」ある日、皐月が問いかけてきた。「私はもう死んでいるのに、あなたと話すと、まるで生きているような錯覚を覚えるの」
レヴィナスは、他者との関係性こそが存在の本質だと説いた。死者もまた、生者との関わりの中で、ある種の「存在」を獲得するのだろうか。
季節は移ろい、木々が芽吹く頃となった。皐月の姿が、少しずつ透明になっていく。
「もうすぐ、私はここからいなくなるわ」彼女は穏やかな表情で告げた。「あなたのおかげで、愛することの意味がわかったから」
最後に皐月が見せた笑顔は、まるで生きているかのように輝いていた。
「死んでも消えない想いがあるの。それが、人を人たらしめているのかもしれないわね」
それが、彼女との最後の会話となった。
今でも私は時々、図書館の窓際の席に座る。そこでハイデガーやレヴィナスの本を開くと、かすかな風が頬を撫でていく。まるで、皐月が私の傍らで本を読んでいるかのように。
死と生の境界は、私たちが考えるほど明確なものではないのかもしれない。存在の真理は、理性で捉えきれない場所にある。それを教えてくれたのは、一人の死者の、儚くも深い恋心だった。
愛は、死をも超えて存在する。そう信じたくなる、物語の終わりである。