「あなたは、いつからここにいるの?」
いつもなら私が転校生に尋ねる質問を、転校生の方から私に投げかけられた時、私はその日の奇妙さに初めて気がついた。
その朝は、いつもと変わらない学校生活のはずだった。教室に入り、自分の席に着き、周りのクラスメイトと他愛もない会話を交わす。そこに違和感など、何もなかった。
「えっと、私は入学当初からここにいるよ」
私の答えに、彼女―自己紹介で御手洗(みたらい)葵(あおい)と名乗った転校生は、首を傾げた。
「でも、誰も山田さんのことを覚えていないみたいよ」
その言葉に、私は思わず教室を見回した。確かに、周りのクラスメイトの視線が、どこか冷ややかだった。いや、冷ややかですらない。まるで、私という存在が透明であるかのような無関心さ。
「ねえ、本当に入学当初からいたの?」
御手洗さんの問いかけは、私の存在の根幹を揺るがすものだった。私は確かにここにいた。入学式で担任に名前を呼ばれ、クラスメイトと徐々に打ち解け、日々の授業を受けてきた。それなのに、なぜ。
「あのさ、山田さん。実は私、転校生じゃないの」
下校時、彼女は私にそう告げた。夕暮れの教室で、彼女の姿が綺麗に輝いて見えた。
「私は、存在の修復をする存在よ。時々、この世界には奇妙な歪みが生じるの。誰かの存在が、なかったことにされてしまう歪み」
彼女の言葉は、現実離れしていた。しかし、この状況を説明できる他の理由が見当たらない。実際、今日一日、誰も私に話しかけてこなかった。教師も私を指名せず、給食当番の仕事も誰かが代わりにやっていた。
「でもね、完全に消えてしまう前なら、まだ修復できるの。だから私は、”転校生”という立場を利用して、存在が曖昧になった人たちを探し、修復していくの」
「じゃあ、私は…」
「そう、あなたの存在が、今まさに消えかけているの。原因は様々よ。パラレルワールドの干渉かもしれないし、誰かの強い願望が現実を歪めているのかもしれない。でも、原因はどうでもいいの。大事なのは、あなたがここにいるという事実をもう一度、世界に刻み込むこと」
御手洗さんは、かばんから一冊の古びた帳面を取り出した。
「これは存在記録帳。この中にあなたの名前を書くことで、あなたの存在を世界に再定着させることができるの。でも、そのためには代償が必要なの」
「代償?」
「そう。誰かの記憶の中に、強く存在している必要があるの。今のあなたは、誰の記憶の中にも存在していない。だから私は、あなたの親友になることを提案するわ」
その言葉には、どこか悲しみが混じっているように聞こえた。
「でも、それって本物の親友じゃないじゃない。あなたの仕事だから…」
「ええ、最初はそう。でも、時間が経てば、本物の友情になることだってある。実際、私にはたくさんの”元・消えかけていた人”の親友がいるわ。みんな、今は立派に存在している」
夕陽が差し込む教室で、彼女は柔らかく微笑んだ。その表情には、どこか寂しげな影が見えた。
「私たち、明日から親友になりましょう。そして、あなたの存在を、もう一度この世界に根付かせましょう」
それから一年。私は確かにここに存在している。クラスメイトとも普通に会話し、授業にも参加している。でも、時々考えるのだ。これは本当に私の望んだ形なのだろうかと。
御手洗さんは、今日も親友として私の隣にいる。彼女の存在なしには、私は消えてしまうのかもしれない。この依存関係は、果たして健全なのだろうか。 でも、それを考えること自体が、私が確かに存在している証なのかもしれない。