私は都市社会学を研究する大学院生だ。特に人々の行動パターンに興味があり、街頭での観察調査を日課としていた。しかし、あの交差点での出来事以来、私は人混みを見ることが怖くなった。
それは真夏の昼下がりのことだった。都心の大きな交差点で、通行人の流れを観察していた。汗を拭いながらメモを取っていると、ふと違和感を覚えた。人々の動きが、どこか不自然に見えたのだ。
まるで、事前に振り付けられた群舞(ぐんぶ)のように。人々は一定のリズムで歩き、決まったタイミングで曲がり、規則的な間隔で立ち止まる。私は急いでビデオカメラを回し始めた。
その夜、研究室で映像を見直してみた。スローモーションで再生すると、さらに奇妙な発見があった。人々の動きを数値化すると、そこには明確なパターンが浮かび上がった。それは、あまりにも完璧すぎる秩序だった。
翌日、私は同じ場所で観察を続けた。すると、新たな異変に気付いた。人々の表情が、みな同じように虚ろなのだ。そして、彼らの影が…影が微かに揺らめいているように見えた。
私は恐る恐る、通行人の一人に声をかけてみた。しかし、返事はない。ただ虚ろな目で前を見つめたまま、決められた軌道を進んでいく。その瞬間、私は背筋が凍る思いがした。これは演技ではない。彼らは本当に、何かに操られているのだ。
図書館で古い新聞記事を探してみた。すると、50年前にも似たような報告があった。都心で大量の人が失踪(しっそう)する事件が起き、その直後から「異常に整然とした人の流れ」が目撃されるようになったという。
さらに調べていくと、恐ろしい事実が分かってきた。この街の人口統計には、明らかな矛盾があったのだ。表向きの人口は増え続けているのに、実際に生活している人の数は年々減っている。その差を埋めているのは…私が観察していた「何か」なのではないか。
ある日、私は決心した。カメラを持って、人々の流れに紛れ込んでみることにしたのだ。最初は演技のつもりだった。しかし歩いているうちに、私の意識も徐々に曖昧(あいまい)になっていった。
気が付くと、私は見知らぬ場所にいた。そこは裏返しの街とでも言うべき空間だった。建物は逆さまに立ち、道路は壁のように垂直に伸び、人々は重力を無視して歩いている。そして、その人々の中に…あの失踪者たちの姿があった。
彼らは語った。この街には、表と裏の二つの層があると。表の街で失われた人々は、裏の街の歯車となる。そして、その代わりに「人の形をしたもの」が表の街に送り込まれる。それが、私が観察していた正体だったのだ。
私は必死に逃げ出した。どうにか元の世界に戻ることはできたが、もう以前と同じようには街を見ることができない。人混みの中に、どれだけの「偽物」が紛れているのか。そして、彼らは何のために存在しているのか。
今でも時々、人混みの中に、あの虚ろな表情を見かける。彼らは完璧な秩序を持って動き、影を揺らめかせながら、目的もなく街を彷徨(さまよ)っている。
そして私は考える。もしかしたら、この文章を読んでいるあなたの隣にいる人も…。いや、あるいはあなた自身も、既に「向こう側」の存在なのかもしれない。それを確かめる方法は、ただ一つ。鏡に映った自分の影が、かすかに揺らめいていないかどうか、注意深く観察してみることだ。
もし揺らめきを見つけたら…それは、あなたが既に「歯車」になりつつある証かもしれない。街の裏側が、あなたを呼んでいる証なのかもしれない。