【怖い話】時の沈殿池

私が時間を見る仕事を始めたのは、去年の春からだ。

正確には「下水処理施設の時間沈殿槽の管理」という肩書きだが、実際の業務は違う。私たちが管理しているのは、人々の「捨てた時間」なのだ。

説明が難しいが、例えばこんな具合だ。電車を待つ間、スマートフォンをいじりながらぼんやりと過ごした5分。会議室で上司の長い話を聞かされた30分。病院の待合室で雑誌をめくりながら過ごした45分。そういった、誰もが「無駄にした」と感じる時間は、実は消えてなくなるわけではない。

それは都市の下水管を通じて、私たちの施設に流れ着く。

「時間」は粘度の高い透明な液体として、マンホールから施設に流れ込んでくる。私たちの仕事は、その時間を適切に管理し、沈殿させ、再利用可能な形に精製することだ。

「なぜ下水道なのか?」と訊かれることもある。私の先輩は言う。「人は無駄な時間を『流す』っていうだろ?あれは比喩じゃないんだ」と。

施設の沈殿槽の底には、濃度の高い「時」が溜まっている。それは重くどろりとした液体で、中を覗き込むと、様々な映像が浮かび上がる。誰かの待ち時間、誰かの退屈な日常、誰かの止まったような時間。

私たちはその時間を、丁寧に掬い上げ、濾過し、再び使えるようにする。精製された時間は、必要とする人々の元へと送られる。締切に追われる作家、予定に追われる会社員、残された時間の少ない患者…。彼らの元へと、匿名の時間は届けられる。

しかし、この仕事には危険が伴う。

濃縮された時間に触れすぎると、自分の時間感覚が歪んでしまう。先月も、新人が沈殿槽に落ちる事故があった。彼が引き上げられた時には、既に80歳ほどの老人になっていた。彼の人生の時間は、沈殿槽の中で一瞬で流れ去ってしまったのだ。

だから私たちは、決して沈殿槽を直接覗き込まない。防護服を着用し、専用の道具を使う。そして何より、マンホールの蓋は常に閉じておく。時間が逆流するのを防ぐために。

ただ、最近気になることがある。

街中のマンホールから、時々、異様な音が聞こえてくるのだ。まるで、誰かが中で時計を逆回ししているような音。そして、その近くを通る人々の動きが、一瞬だけ遅くなったり、早くなったりする。

私は危惧している。沈殿槽に溜まった時間が、限界を超えつつあるのではないかと。人々が無駄にする時間が、処理能力を超えて蓄積されているのではないかと。

もしあなたが、マンホールの近くを通る時、足元から奇妙な音が聞こえたら、すぐにその場を離れることを勧める。そして、できるだけ時間を大切に使ってほしい。

なぜなら、捨てられた時間は確実にどこかに溜まっていく。そして、それはいつか必ず…溢れ出すのだから。

私は今日も、地下の沈殿槽で時間と向き合う。誰かが無駄にした時間が、誰かの大切な時間になるように。ただし、時には恐ろしいことを目にする。沈殿槽の底で渦を巻く時間の中に、まだ生きている人間の記憶が見えることがあるのだ。それは恐らく…まだ訪れていない時間の記憶なのかもしれない。

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